午前中何気なくテレビを見ていたら、地下街が出て来た。
チューリップテレビの高岡開町400年記念の町興し特集。
日頃商店街を駆け回る町衆サロンの松浦さんだ。
私は勝手にマックス松浦と呼んでいる。いつもテンパってるから(笑)
彼だって笑えない状況も多々あると思うんだけど、それをおくびにも出さず、
いつもあの笑顔でパワー全快なんだ。
何年前からだろう。私は自分の中で商店街とか組合とか、そういうものに勝手に
見切りをつけてしまった。大小問わず店主はそれぞれ一家言あって、
当たり前なんだけど大きな事から小さな事まで皆で決めていくには
物凄い労力と時間がかかる。全国の皆さんはそうやって苦労しながら街づくりを
されているんだろうと思う。当時のブルーコムには、そんな時間がとても惜しかったし、
明らかに私と周囲のスピード感は違った。
ブルーコム開店当時の地下街でまず取り組んだのは、通路(路上)に出された什器やワゴンを引っ込めよう、という事だった。
皆必死だから少しでも前へ、となる気持ちは分かる。でも通行量が劇的に減ってるんだから、お店の奥で商売するスタイルに(つまり固定客を増やして、たまたまじゃなくてわざわざ来てもらう店に)皆で変えましょう!もっと自信を持てる店にしましょう、という意味も理解してもらえなかった。まあ私も若かったし説得力がなかったのかもしれない。数年経って仕方がないからいっその事、地下街を全部自分の店にして通りを変えよう、と決意したんだ。親父を説得してモードまつだを地下に移転し、アナスタシア、クルートと半ば強引に広げた。あんた達も同じだけリスクを張ってみろよ、と理事長や商工会議所の人々に大きな口を叩いては顰蹙を買ってた(苦笑)みんな改装が必要だと言っても結局最終的には財源の問題になって、必要なのは判るけどお金は誰が出してくれんの?みたいな話になって終わる事の繰り返しだったから、あの当時の判断は間違っていなかったと思う、多分。でも、今だったらもっと周囲と共生する方法を考えたと思う。地下街のあの通りは、私の若気の至りの象徴でもある。中心街はだめだ、だめだと当時から今でもずっと言われてて、そりゃあ世間ではそう相場が決まってるかもしれないけど、俺はだめじゃないんだ!という意地もあったんだろう。
街づくりは人と人との絆から生まれるというマックス松浦は正しいと思う。
ある意味それを拒絶してきた私には、今の皆さんの取り組みには頭が下がる思いです。
場所代も払わないで三味線弾いてる男や(でも一応顔を見れば「よぉっ」と声くらいは掛けます)、人並みの家賃も払わないで「高岡のために」な~んて一丁前のせりふを吐く男(でも頑張ってるよな、陰ながら応援してる)、産地直送の夕市はそりゃあ話題性はある。でも本当にまちを再生するんならずっと根付いて商店街を支えてきた人々にもっと目を向けるべきだ。
だからこれからは、できる限り協力をして行こう!と思ったのでした。
地元を愛する気持ちは私だって負けずにあると思うが、お店の価値はお客様によって判断される。
今後スタートする駅ビル取り壊しによって、これ以上地下街へのアクセスが悪くなってご迷惑を掛けるようなことがあれば、躊躇なく退店します。すでにいくつかの候補地案件は上がってきています。皆さんはどう思いますか?