「チャイナクロス」とは「ある製品で中国の需要または生産の規模が、日本のそれを追い抜く瞬間」。
正確にはそれをグラフで表した曲線の交差点のことを表すんだと思うが、まあそういう意味の造語だ。
日経の編集委員の後藤さんという真面目そうな人が2004年に作った言葉らしい。
いるそうだがさすが早稲田の政経卒、いい事を言う。
詳細はリンクを貼ったので参照いただければ、と思います。
何を改まって小難しいことを、と思われるかもしれないけど私たちの身近に中国の問題はある。
テレビ、鉄鋼、携帯電話にはじまって今年は自動車がチャイナクロスの瞬間を迎えた。
総人口13億人に対する富裕層の人口の割合はもちろん小さなものだが、
分母が大きいだけその消費意欲は旺盛だ。
ブルーコムにも先日から香港からだと思うが熱心な中国人のお客様から
相次いでお問い合わせやご注文を頂いてる。
「どうしましょう?」とスタッフが聞くが、同じように対応しようよ
何せ人口13億人だから(笑)
私の漠然とした印象だけど、中国の人はとても日本が好きなんだと思う。
でもどこかで「小日本」と馬鹿にしてるところもあって
複雑な思いを抱いているんだ。だって世界の中心は中国だと思ってるから、
日本は台湾同様、端っこにくっついている小さな島なんだろう。
異論反論オブジェクションはあまたあるとは思いますが、
あくまでも個人的な印象ですので、ご容赦下さい(笑)
何を言いたいかといえば、もっと中国の人々に服もバッグも買ってもらっちゃおう!
という単純な事なんだ。
楽天も海外にははっきり言って逃げ腰だ。
全てのサイトを中国語に翻訳して、付加価値の高いものをがんがん輸出すれば
中国の女性たちもハッピーだし、ガス田のひとつやふたつくれてやっても
すぐに元が取れるというものだ。
賄賂や不正、急な法律改正、大気汚染などいやなイメージが強い中国取引だけど、
北京オリンピックに続く2010年上海万博と活況を呈する大きな市場は
日本にとって重要だ。中国政府は購買に関して、中央で「政府購買リスト」を作るらしい。
その中には複写機指定4社のうち2社が日本企業、プリンターは
同じく6社のうち4社が日本企業だという。大きいよなあ。
東京でのサラリーマン時代93年から96年にかけて、
ニット担当だった私は毎年年明けに香港へ出張していた。
ワンチャイのコンベンションセンターへはフェリーで毎朝出かけていて、
その風景は断片的に記憶に残っている。
九龍のマンションメーカーを廻ってミセスのニット製品を作っていたんだ。
当時は円高、売れに売れた(笑)
97年に会社を辞めて独立する時、私はまだ小売に徹するという覚悟も
現実の厳しさも知らなかった。お店をやりながら、中国でカシミアセーター
を作って日本中に卸そう、二刀流じゃと安易に考えたんだ。愚かな事だ。
勤めていた会社も少しは買ってくれるだろうし、何せ自分が仕切ってたんだから
何とかなると甘い見込みで資本金1000万のうち400万円を大連に投資した。
親父も勤めていた会社の社長さんも皆反対してくれたのに、、、。
結果は皆さんご想像の通り。当時住んでいた駅南のビルは在庫のダンボールの山。
ウィルスミスの「幸せの力」みたいな、本当の話。古巣の担当からは冷たく突き放され、
田舎の店に飛び込み営業をしても追い払われ自分の未熟さと周囲への的外れな
憎しみだけがこみ上げ、鬱屈した気持ちで毎日を過ごしてた。
結局一緒に香港出張に行っていた部長さんに泣きついて、
少し助けてもらった。あとは家内の実家に買ってもらったり
お袋がモードまつだで売ってくれたりした。
最後は周囲の大人たちに迷惑かけて助けてもらって、
心の底から恥ずかしくて情けなかった。
どん底で決意した。小売に徹する。
赤ん坊だったエイスケの顔を見ながら泣いた。
で、泣かない事を誓った。
だからその年の正月の福袋にカシミアは思い切って全部放り込んだんだ。
中国、カシミアと聞くと今でも心のどこかで鈍い痛みを感じるように思う。
でもあの経験があるからこそ、「世の中は自分の筋書き通りにはいかないものだ」
という人生の当たり前のことを肌で学んだのだと思う。
書かないつもりだったのに、何で書いちゃったんだろう?
来週中国からお客さんが来るからだ。その件はまた後日。