今日は次男坊龍弥の7歳の誕生日。確か去年の今日も同じようにたっちゃんへの手紙を書いた。1年生でも最近は少しは教室内人間関係で悩みもあるようだが(笑)本人は詳しいことは何も言わない。男だからな、でも本当につらいことがあったら言うんだよ。台詞もいっぱしになってきて、おもちゃを片付けないまま友達が帰った佑に、「使うのはいいんだけどさぁ、りょう君を呼んだのはえいすけだから、片付けるのは英佑のセキニンじゃん。」と生意気を言っては泣かされてる。弟はつらいんだ(涙)誕生日プレゼントはずい分前に「前借り」しちゃってるから今日は無し(笑)
私が小学校一年生の冬、弟は3歳か4歳。下の弟はまだ生まれていなかった。親父が体を悪くして東京の虎ノ門で入院した。私はお袋の実家、富山市のおばあちゃんの所へ。弟は町田の伯母さんの所へしばらく預けられた。お店もあったし、病院で付いていなければいけなかったし、両親にとっては苦渋の決断だったんだろうと思う。私は幼いながらも何となく事情は分かっていて、両親の前では絶対泣かなかった。多分その数日前、一緒に多分プロレスかなあ、テレビを見ていた時親父がぽろぽろと涙を流した。どうしたの?と聞いたその場面は記憶に残っている。その頃の親父の年齢を私はとっくに超えてしまっているけれど、今ならその気持ちが分かる気がする。子供たちを親戚に預けなければならない自分の無力さへの情けなさと悔しさと、将来への不安と、、。本当は子供の頃、ずっと寂しかった。でも僕はチョウナンだから、ガマンしなきゃいけないんだ、だってオニイチャンだから。ずっと自分に言い聞かせていた気がする。34年後の今、授かった3人の子供たちにはそんな思いはさせたくなくて、できる限り私か家内のどちらかは家にいるようにしたいと、だからこそ個人商店じゃだめなんだ、企業を目指さなくちゃというブルーコムの一つの大きな動機でもあるんだ。もちろん当時はオイルショック前夜、もっと大変なことも悲惨な事も世の中には沢山あったんだろうと思うけど。あっ、親父もお袋も元気で今も「モードまつだ」をやっています。
話がまた大幅にそれた。どんどん成長する子供たちの寝顔を、嬉しいような寂しいような複雑な気分で眺める今日この頃なのだ。龍の生まれた2000年は急に忙しくなりはじめて、02年のアナスタシアから去年まで毎年出店が続いた。私は自分が思うよりも余裕がなかったんだろう、可愛い盛りのはずのその頃の龍の写真がとても少ない事に気づいた。あぁごめんな、、、。ハッピーバースデイ♪たっちゃん。今シーズンは沢山スキーに行こうぜぃ!