昨日は朝からいくつかのミーティングの後、小学校の授業参観に行ってきた。
その後、駅ビルで再開発に関する市担当者からの説明会。
まあ、なんというか相変わらず新聞報道をなぞったような曖昧なもの。
今ここで即答はできないことをご理解いただきたい、とか
~という思いは持っておりますが、現在調整中でございます、とかさ(笑)
課長さんも課長補佐の人もたまたまその役回りになっただけだ
という事も、様々な複合的な要因がある事もよくわかる。
理念も目的もなく、何とか滞りなく事業を進めたい行政と
わずかな補償金のことばかり気になるテナントの人々_。
しばらく聞いていて、思ったこと。だめだこりゃ、、。
来年にはもっと詳細な図面が出てくると思うが、駅ビルの取り壊しが始まる
平成24年までは地下街は現状のままだと思う。それまでは、いやその前から
多分商店はどんどん減り、通行人数も減り、更にゴーストタウン化するだろう。
結局責任者不在のままだ。さあ、どうする?
(補足)駅前シャッター通りとは、鉄道の時代からクルマ社会へのライフスタイルの変貌
によってもたらされた。同時に少子高齢化によって加速させられた。
東京や大阪や名古屋などの巨大都市圏を例外とすれば、1時間か30分ごとに停車する
特急列車、あるいは通勤通学の足であった各駅停車から吐き出される乗客が、駅前通りの
商店街の主要な顧客であった。また中心市街地に居住する商店主やその関係者も商店街
の住人として顧客であった。(中略)
鉄道の時代からクルマ社会へ、この30年、ほぼ一世代で入れ代わった。猛烈なスピードで
転換した。駅を起点としたかつての中心市街地は、郊外のショッピングセンターに顧客を奪われて
寂れている。シャッター通りが多いから不景気であるという認識は間違いであり、目を転じれば
郊外は繁栄しているのである。
この後、徒歩の時速4キロの生活から、車社会の時速50キロのライフスタイルへの変換。
すなわち中心市街地の空洞化は、明治以来の成功モデルの崩壊であり、斜陽の鉄道と
同じように中央集権の行政モデルの制度疲労である、と文脈は続く。その郊外だってその
成長モデルの潮目は確実に変わっている。
行政サービスも同じく時速50キロを前提に企画されて役所、総合病院やその他ハコモノは
郊外に作られるようになった。住居と商店街、役所と病院、中心市街地が供えていなければ
ならない機能を、改めて集中させる必要に迫られている。コンパクトシティである。
(猪瀬直樹 霞ヶ関「解体」戦争より)
私はたまたま当事者だから、より考える機会が多い。誰しも年をとって車の運転も
できなくなる時がくるんだ。道路よりもまずやらなければならない事があると思うが
どうだろう?